JA1YAV   
  1957年 10月4日、夜 本庄西小学校のグランドに何人かの人たちが空を仰いでいた。

正確な時刻を知らせるモールス信号が短波ラジオから流れていた。異常な緊張が真っ暗な
グランドを覆っていた。

「見えたぞ!あれだ!あれに違いない!」このグループのリーダーの笹川さんが怒鳴った。
小さい小さい白い物体が天を横切って西の空へ消えた。
事前に発表されていた世界で第1号のソ連が打ち上げた「スプートニク1号」が我が本庄
で見ることができた瞬間だった。笹川さんはすぐNHK浦和放送局へ観測成功の報告をした。
わが本庄市の天体マニアの快挙であった。

 その後人工衛星の観測を全国ネットでおこなうには「アマチュア無線」がよいと認識
され本庄でも免許をとろうとゆうことになり準備が始まったのである。
 公民館長に相談して埼玉県の成人学校級に指定され夜な夜な勉強が始まったのだ。
その甲斐あって何人かの合格者を出し、講師謝礼として送受信機が買えるほどのお金を
いただいたのである。このへんの事情は「本庄市史・資料編」に「 本庄タワー建設記」
 として保存されている。

   クラブ結成と同時に社団局を申請した。埼玉県内では初めてのクラブ局だと記憶する。
呼出符号はJA1YAVである。従事者免許だけのメンバーでも運用できた。
クラブとしての活動は他地区のそれと同じだった。持ち回りキー局によるロールコールFO
Xハンテング、免許取得講習会、非常通信訓練、アンテナ制作工作、飲み会、会報発行、
レピーター局設置、など一時は100名に及ぶメンバーを抱えていた。中古のFAXを見つ
けてきてピーヒョロやったり、ハンデイでレピーターの世話になったり、世間からもうら
やまがられる趣味であった。

  携帯電話の普及やいろいろな通信機器の出現により、今は人気が落ちたアマ無線である
がいつかまた日を浴びるときがくるかもしれない。
                                      
                                                                               JA1KBH













本庄アマチュア無線クラブ
無線局免許状
        
 
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